京阪2200系について
1964年(昭和39年)、モノコックボディが特徴の2000系スーパーカーを、急行運転向きにアレンジして登場したのが2200系です。当初よりスカートを装備している点やエコノミカル台車などがポイントでしょうか。その後1968年ごろまで製造され、それなりの勢力を築きました。
途中、改番、2000系(2600系)との組み換え、冷房化、更新工事などを経て現在にいたりますが、車内デザインについてはほぼ、登場当初とカラースキームが変わっていません。外観は前面デザインがスタイリッシュになりました。
その後、抵抗制御車と省エネ車が混在することもあり、一時廃車が進められましたが、ホームドア導入の流れに伴い計画が変更され、現在も数編成が活躍中です。
(2020.11.11一部写真差し替え)
車内デザイン1 初期の車両はドア横が狭い
初期に製造されたグループは2000系同様、ドアエンジンが座席下にあり、クランクで左右別々に作動させるタイプのドアとなっており、ドア横のスペースが狭くなっています。この世代のドアは、ガラスは金属抑えとなっており、上半分がペンキ塗り、下半分が化粧板仕上げです。近頃は塗装仕上げの車両というものは本当に見かけなくなりました。
鴨居部ですが、想像ですがおそらく後年の更新時に取り換えられているのでは?と思います。化粧板仕上げで枠部分が無塗装となっています。座席下にドア開閉機構を備えるタイプでここまでの大きさが必要とも思えません。
参考までに、同じドア開閉機構を持つ旧2000系編入の2600系を見ると、ドア上はいたってシンプルで小さな鴨居フタとなっています。やはり2200系は更新時に他とデザインが合わせられたのでは?と想像しています。余談ですが2600系は他のパーツもペンキ塗りのままで残っている箇所がありますね。
車内デザイン2 後期の車両はドア横に変化が
製造途中からラッシュ対策でドア横のスペースが大きくとられる仕様に変化しました。現在の御堂筋線30000系や南海8300系もびっくりな空きっぷりです。
阪急3300系~5000系列もドア横が広くとられており、この高度経済成長期において流行の設計だったのでしょう。つづいてドア鴨居部も見てみましょう。
タイプはドア上鴨居部が、おそらく製造当初のオリジナルのままで残っていると思われる形状です。やや斜め下向きに面した大きな面積を使用しています。この世代はドア横が広いためドアエンジンが天井部で開閉する、以降の京阪電車では標準的な仕様に変更されています。(ドアも左右おなじ動きをするようになりました)
この鴨居ですが、よく見ると、フタの上下に銀色の押さえがある車両とない車両があります。実は、上にタイプ1と記した押さえがない車両は、鴨居部がペンキ仕上げとなっており、下のタイプ2と記した銀色の押さえがあるタイプは、同じデザイン・同じネジ位置ながら表面が化粧板仕上げになっています。これが更新時に変更されたものかはわかりませんが、こういった差異も見られます。
今はもう見られないドアがもう1種類
京阪線が昇圧され、8両編成が運行できるようになった際、最初に8連化を実施されたのが2200系でした。その際、当時6000系へ新製が移行していたにも関わらず2200系の中間車が5両ほど増備されました。
キレイな写真が残っていないのが悔やまれますが、この2380番台がその該当者です。この世代のドアは2600系30番台と同様、化粧板1枚仕上げとなっていました。今はもう見ることができないのが残念です。
終わりに
京阪はとにかく車両のバリエーションが豊富な鉄道会社ですが、この2200系は地味ながら多数派で、あまりスポットライトの当たる機会がない車両です。今回はドアに焦点を当ててみましたが、他にもバリエーションや時代を感じる場所はたくさんあり、機会があればまた取り上げたいと思います。
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